アイテム (合計 302個)
Sort by:
工場と住宅・福利施設の一体建設(南街)
東京瓦斯電気工業(株)の工場と社員施設
鉄道の駅がない、人家も一つもない、一面畑の中に、工場の建設は急ピッチで行われました。突貫工事と呼ばれその様子は次の通りです。
・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成
・昭和13年(1938 ) 10月、工場の一部完成
第一回先遣隊来村、まだ、社員宿舎などが未完成のため
当時の大和村や砂川地区の農家の蚕室などを宿とする
・昭和14年(1939)…
鉄道の駅がない、人家も一つもない、一面畑の中に、工場の建設は急ピッチで行われました。突貫工事と呼ばれその様子は次の通りです。
・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成
・昭和13年(1938 ) 10月、工場の一部完成
第一回先遣隊来村、まだ、社員宿舎などが未完成のため
当時の大和村や砂川地区の農家の蚕室などを宿とする
・昭和14年(1939)…
建武三年(1336)の鐘(豊鹿島神社)
元弘3年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めで、近接する小手指、久米川、分倍と目の前で戦乱を目にした東大和の人々。鎌倉幕府が滅亡し、京都に戻った後醍醐天皇は、元号を建武と改めました。日本の時代が大きく動いた時でした。その時、東大和市域はどのような状況にあったのでしょうか。僅かな手がかりがあります。
芋窪の豊鹿島神社に、建武3年(1336)銘の刻まれた鐘があったことが伝えられます。
豊鹿島神社は慶雲4…
芋窪の豊鹿島神社に、建武3年(1336)銘の刻まれた鐘があったことが伝えられます。
豊鹿島神社は慶雲4…
徳川氏御朱印状(三光院他宛15通)
所在地 清水4丁目1132三光院 門屋大寿氏
指 定 昭和49年9月20日指定
説 明 旧清水村(現在清水)の氷川神社および三光院は、江戸時代氷川神社5石、三光院3石の朱印をうけていた。この御朱印状は徳川将軍が領有許可証として発行したもので氷川神社あて3通、三光院あて12通が現在輪王山三光院に保存されている。
用紙は当時の朱印状の例によって檀紙を使っている。…
指 定 昭和49年9月20日指定
説 明 旧清水村(現在清水)の氷川神社および三光院は、江戸時代氷川神社5石、三光院3石の朱印をうけていた。この御朱印状は徳川将軍が領有許可証として発行したもので氷川神社あて3通、三光院あて12通が現在輪王山三光院に保存されている。
用紙は当時の朱印状の例によって檀紙を使っている。…
タグ: 清水
村に地頭がやってきた
天正18年(1590)、小田原合戦が終了、秀吉は家康に関東移封を命じます。家康は早くも7月から8月にかけて江戸に入りました。東大和市の旧家の杉本家28代勘解由種繁(寛永13・1636年6月14日没)は、当家の家譜を記す『代々のかがみ』に
「当代、天正18年7月以前は小田原北条の領であったが、同年7月以降は徳川の領となる。…
「当代、天正18年7月以前は小田原北条の領であったが、同年7月以降は徳川の領となる。…
注目アイテム
注目アイテムはありません。