高木神社前 庚申塔 享保4年
タイトル (Title)
高木神社前 庚申塔 享保4年
詳細 (Description)
享保4年(1719)
高木神社前に思わず足を止める庚申塔がたてられています。
享保4年(1719)、高木村の村人が揃ってまつりました。
立派な蓋が付いた方形(□)の石碑です。
容姿の揃った貴重な庚申様です。
高さ105㌢ 幅39.5㌢ 奥行き38㌢
正面
正面に、上から
・左・雲に月 右・雲に太陽
・六臂(6本の腕)の青面金剛像
上左・矛 上右輪宝
中 両手で合掌
下左・矢 下右・弓
・足元に二鶏(二羽の鶏)
・邪鬼
・三猿
が浮き彫りになっています。
・怖い顔して武器を持つ
・青面金剛様が邪鬼を踏みつける
・太陽があり、月がある
・二羽の鶏、三匹の猿が居る
・何か、話がありそうです。
邪鬼、三猿
足元の左右に鶏 邪鬼を踏み、三猿を彫り上げています。
(右から見ざる、聞かざる、云わざる)
正面文字
右 奉造立庚申尊像為二世安楽也
左 享保四己亥年二月吉日
二世安楽のために庚申様をおまつりした
享保4年(1719)2月吉日
と彫られています。
二世安楽は
現世での安穏と来世での極楽往生を意味します。
享保4年(1719)頃は、東大和市域では
・玉川上水、野火止用水際までの大まかな新田開発が終わり
・より高い生産力を目指して畑地作りに向かう頃です。
・村作り、家族もようよう安定してきて
・貧しい中で二世安楽を願う村人達の姿が浮かびます。
右則面
・武州多摩郡山口領
・江戸時代の東大和地域の地名です。
・武蔵国多摩郡山口領となります。
・東大和市域の北側(村山貯水池の周囲道路真ん中)が
・入間郡と多摩郡の境界で、
・山口の中心、山口城は入間郡にあり、
・境界を超した南側は古代から多摩郡であったのに
・なぜ、山口領なのか疑問です。
江戸時代の地域分けの特色と云えます。
左側面
高木村
施主村中
・高木村の村人が全員でまつったことがわかります。
・庚申信仰の特徴とも云えます。
高木神社前に思わず足を止める庚申塔がたてられています。
享保4年(1719)、高木村の村人が揃ってまつりました。
立派な蓋が付いた方形(□)の石碑です。
容姿の揃った貴重な庚申様です。
高さ105㌢ 幅39.5㌢ 奥行き38㌢
正面
正面に、上から
・左・雲に月 右・雲に太陽
・六臂(6本の腕)の青面金剛像
上左・矛 上右輪宝
中 両手で合掌
下左・矢 下右・弓
・足元に二鶏(二羽の鶏)
・邪鬼
・三猿
が浮き彫りになっています。
・怖い顔して武器を持つ
・青面金剛様が邪鬼を踏みつける
・太陽があり、月がある
・二羽の鶏、三匹の猿が居る
・何か、話がありそうです。
邪鬼、三猿
足元の左右に鶏 邪鬼を踏み、三猿を彫り上げています。
(右から見ざる、聞かざる、云わざる)
正面文字
右 奉造立庚申尊像為二世安楽也
左 享保四己亥年二月吉日
二世安楽のために庚申様をおまつりした
享保4年(1719)2月吉日
と彫られています。
二世安楽は
現世での安穏と来世での極楽往生を意味します。
享保4年(1719)頃は、東大和市域では
・玉川上水、野火止用水際までの大まかな新田開発が終わり
・より高い生産力を目指して畑地作りに向かう頃です。
・村作り、家族もようよう安定してきて
・貧しい中で二世安楽を願う村人達の姿が浮かびます。
右則面
・武州多摩郡山口領
・江戸時代の東大和地域の地名です。
・武蔵国多摩郡山口領となります。
・東大和市域の北側(村山貯水池の周囲道路真ん中)が
・入間郡と多摩郡の境界で、
・山口の中心、山口城は入間郡にあり、
・境界を超した南側は古代から多摩郡であったのに
・なぜ、山口領なのか疑問です。
江戸時代の地域分けの特色と云えます。
左側面
高木村
施主村中
・高木村の村人が全員でまつったことがわかります。
・庚申信仰の特徴とも云えます。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“高木神社前 庚申塔 享保4年,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月23日, https://h-yamatoarchive.sakura.ne.jp/omeka/items/show/1756.