清水神社
タイトル (Title)
清水神社
詳細 (Description)
所在地 東大和市清水3-786
御祭神 素盞嗚尊・大己貴尊・稲田姫命
(氷川社の御祭神、熊野神社の御祭神は不詳)
大 祭 9月15日
境内末社 本殿左横の社に石祠が二つまつられています。
東大和市史は「境内には末社として稲荷社、愛宕社を祭祀する」とあります。
略 歴 村山貯水池建設により湖底に沈む旧地より、氷川神社と熊野神社をこの地に移座、合祀して「清水神社」と改称しました。
大正8年(1919)ごろとされます。氷川神社の創建は健保2年(1214)とされます。清水神社の歴史にまとめます。
鳥居の右側に「重建華表之記」の碑があり、略史が彫られています。
灯籠一対 奉納 参宮紀年 講元五十嵐、池谷
大正九年(1920)一月二十三日 世話人 氏子中と台座に刻まれています。
狛犬一対 平成二年(1990)
社殿は平成二十二年(2010)に新築されました。その経過が社殿右側の「清水神社社殿新築記念碑」に彫られています。
「清水神社社殿新築記念碑」
清水神社は、地域の氏神様、鎮守様として、ひろく崇め親しまれてまいりました。
清水神社の創建は建保二年(一二一四)と伝えられ、大正八年頃(氷川神社及び熊野神社が合祀し)、村山貯水池建設に伴い、現在地(清水三丁目)に移転したもので移築後八十年以上が経過し、その老朽化が進んでいる現状を踏まえ、清水神社社殿建替発起人会、準備委員会、新築委員会と段階を踏み、地域に幅広く呼び掛け募金により新築することになりました。
ここに多くの方々の多大なる奉賛金に依り、新たな清水神社社殿を完成することができました。
落成の賀儀を迎えるにあたり、奉賛者各位のご芳名を碑に刻み、永く感謝の意を表します。
平成二十二年五月吉日
清水神社新築委員会 清水神社宮司 野口好文
境内社
神社左奥に境内社がまつられています。格子窓から拝します。
中央に木製の社、中に石造の薬師如来座像 庚(かのえ)待供養 宅部村 同行十七人
(『生活文化財調査概要報告書』(1971年発行PL7に全体像が記載されています)
右側に石祠二祠(両社ともに嘉永7・1854年、村中の銘があると伝えられる)
左側に石造 地蔵菩薩座像
清水囃子モニュメント
境内に清水囃子のモニュメントが置かれています。
「清水離子は、幕末に高円寺村の人により清水村に伝えられたものであり、民俗芸能として貴重である」として、昭和49年9月20日市の技芸に指定されています。
ページを改めて紹介します。
氷川神社時代の石碑
石階新築碑(明治27年・1894) 明治27年に伊勢大々講中の発起で石段を新築した記念碑
明治十一年一月発起人 伊勢大々連
右石段新築碑 明治二十七年一月一日設 氏子中
重建華表之記(明治30年・1897)四十七名
北多摩郡清水村 村社氷川神社は山下門前にあり素盞嗚尊・大己貴尊・稲田姫命三神を祭る
健保二年建立という、天正十九年圭田五斛(こく)を賜り、延享四年(1747)石階を築き木造の華表を造った。それが朽ちたので朽ちないように石造に建て替えた。
敷石之碑(明治41年・1908)
氷川神社の参道に敷石を設置したときの記念碑 伊勢大々講中
清水農事実行組合記念碑
社務所の右側に木陰に隠れて清水農事実行組合の碑があります。
昭和初期、折からの世界恐慌にも影響され、村は疲弊しました。それを乗り切り、農政の転換を図るため、負債整理を含め養豚、養蚕などの共同処理を進める実行組合が設立されました。清水地域では昭和16年(1941)、農事実行組合を設立して成果を上げました。その経過が記されています。
御祭神 素盞嗚尊・大己貴尊・稲田姫命
(氷川社の御祭神、熊野神社の御祭神は不詳)
大 祭 9月15日
境内末社 本殿左横の社に石祠が二つまつられています。
東大和市史は「境内には末社として稲荷社、愛宕社を祭祀する」とあります。
略 歴 村山貯水池建設により湖底に沈む旧地より、氷川神社と熊野神社をこの地に移座、合祀して「清水神社」と改称しました。
大正8年(1919)ごろとされます。氷川神社の創建は健保2年(1214)とされます。清水神社の歴史にまとめます。
鳥居の右側に「重建華表之記」の碑があり、略史が彫られています。
灯籠一対 奉納 参宮紀年 講元五十嵐、池谷
大正九年(1920)一月二十三日 世話人 氏子中と台座に刻まれています。
狛犬一対 平成二年(1990)
社殿は平成二十二年(2010)に新築されました。その経過が社殿右側の「清水神社社殿新築記念碑」に彫られています。
「清水神社社殿新築記念碑」
清水神社は、地域の氏神様、鎮守様として、ひろく崇め親しまれてまいりました。
清水神社の創建は建保二年(一二一四)と伝えられ、大正八年頃(氷川神社及び熊野神社が合祀し)、村山貯水池建設に伴い、現在地(清水三丁目)に移転したもので移築後八十年以上が経過し、その老朽化が進んでいる現状を踏まえ、清水神社社殿建替発起人会、準備委員会、新築委員会と段階を踏み、地域に幅広く呼び掛け募金により新築することになりました。
ここに多くの方々の多大なる奉賛金に依り、新たな清水神社社殿を完成することができました。
落成の賀儀を迎えるにあたり、奉賛者各位のご芳名を碑に刻み、永く感謝の意を表します。
平成二十二年五月吉日
清水神社新築委員会 清水神社宮司 野口好文
境内社
神社左奥に境内社がまつられています。格子窓から拝します。
中央に木製の社、中に石造の薬師如来座像 庚(かのえ)待供養 宅部村 同行十七人
(『生活文化財調査概要報告書』(1971年発行PL7に全体像が記載されています)
右側に石祠二祠(両社ともに嘉永7・1854年、村中の銘があると伝えられる)
左側に石造 地蔵菩薩座像
清水囃子モニュメント
境内に清水囃子のモニュメントが置かれています。
「清水離子は、幕末に高円寺村の人により清水村に伝えられたものであり、民俗芸能として貴重である」として、昭和49年9月20日市の技芸に指定されています。
ページを改めて紹介します。
氷川神社時代の石碑
石階新築碑(明治27年・1894) 明治27年に伊勢大々講中の発起で石段を新築した記念碑
明治十一年一月発起人 伊勢大々連
右石段新築碑 明治二十七年一月一日設 氏子中
重建華表之記(明治30年・1897)四十七名
北多摩郡清水村 村社氷川神社は山下門前にあり素盞嗚尊・大己貴尊・稲田姫命三神を祭る
健保二年建立という、天正十九年圭田五斛(こく)を賜り、延享四年(1747)石階を築き木造の華表を造った。それが朽ちたので朽ちないように石造に建て替えた。
敷石之碑(明治41年・1908)
氷川神社の参道に敷石を設置したときの記念碑 伊勢大々講中
清水農事実行組合記念碑
社務所の右側に木陰に隠れて清水農事実行組合の碑があります。
昭和初期、折からの世界恐慌にも影響され、村は疲弊しました。それを乗り切り、農政の転換を図るため、負債整理を含め養豚、養蚕などの共同処理を進める実行組合が設立されました。清水地域では昭和16年(1941)、農事実行組合を設立して成果を上げました。その経過が記されています。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“清水神社,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月23日, https://h-yamatoarchive.sakura.ne.jp/omeka/items/show/1627.