米軍大和基地との交流
タイトル (Title)
米軍大和基地との交流
詳細 (Description)
昭和31年(1956)2月24日、米軍大和基地は開設されました。
町内では基地開設に至る間は反対運動が強まりました。
それだけに、開設後は町民と米軍基地関係者の間が円滑で友好関係が保たれることに留意されたようです。
その状況を昭和33年(1958)発行の大和町広報がよく伝えます。
基地開設3年後の米軍側の様子です。基地に関係する部分を引用して紹介します。
歳末助け合い運動
「衣料(大和基地贈与) 七六点
玩具(大和基地贈与) 三一点」
お正月の贈りもの
「今年になつてからも、一月十六日の日米連絡協議会の際に、米軍側から、「困つている方々に贈つて下さい」と金品を、また町内篤志家からお金をそれぞれ次のとおりいただきました。
なお、これらの金品も、近く該当者に贈ることになつています。
米軍大和基地寄贈七二、○○○円
同 玩具(同)六十点
以上、年未からお正月にかけての当町におけるたすけあい運動の模様をお知らせすると共に、ご協力いただきました町の方々および大和基地将兵の皆様に、厚くお礼申し上げます。」
楽しかつたXマス
「昨年十二月二十日、町の被保護家庭の児童(五~十五才)七二名が大和基地に招待を受けました。
当日は午後一時から約一時間にわたり、基地内映画館で、余興を見物続いて食道に案内されて「サンタクロース」の呼び出しによりあらかじめ決められた里親(将兵)に引き合わされて、それぞれ心を込められたプレゼントを沢山いただきました。
また、クリスマスケーキや飲み物などを飲んだり食べたりしながら一時間にわたって、兵隊さんと楽しく過ごしました。
さらに送り迎えは大型バスで受ける等、児童達にとっては最良の日でした。」
基地側も相当に気を遣った
基地側もいろいろ気を遣い、町民との交流を図っていたことがわかります。
昭和30年代後半には、町内で井戸の水が涸れたとき、米軍の給水車で給水を受けています。
このような交流も昭和44年(1969)12月、立川基地飛行停止、昭和48年(1973)6月30日、基地全面閉鎖によって終了しました。
町内では基地開設に至る間は反対運動が強まりました。
それだけに、開設後は町民と米軍基地関係者の間が円滑で友好関係が保たれることに留意されたようです。
その状況を昭和33年(1958)発行の大和町広報がよく伝えます。
基地開設3年後の米軍側の様子です。基地に関係する部分を引用して紹介します。
歳末助け合い運動
「衣料(大和基地贈与) 七六点
玩具(大和基地贈与) 三一点」
お正月の贈りもの
「今年になつてからも、一月十六日の日米連絡協議会の際に、米軍側から、「困つている方々に贈つて下さい」と金品を、また町内篤志家からお金をそれぞれ次のとおりいただきました。
なお、これらの金品も、近く該当者に贈ることになつています。
米軍大和基地寄贈七二、○○○円
同 玩具(同)六十点
以上、年未からお正月にかけての当町におけるたすけあい運動の模様をお知らせすると共に、ご協力いただきました町の方々および大和基地将兵の皆様に、厚くお礼申し上げます。」
楽しかつたXマス
「昨年十二月二十日、町の被保護家庭の児童(五~十五才)七二名が大和基地に招待を受けました。
当日は午後一時から約一時間にわたり、基地内映画館で、余興を見物続いて食道に案内されて「サンタクロース」の呼び出しによりあらかじめ決められた里親(将兵)に引き合わされて、それぞれ心を込められたプレゼントを沢山いただきました。
また、クリスマスケーキや飲み物などを飲んだり食べたりしながら一時間にわたって、兵隊さんと楽しく過ごしました。
さらに送り迎えは大型バスで受ける等、児童達にとっては最良の日でした。」
基地側も相当に気を遣った
基地側もいろいろ気を遣い、町民との交流を図っていたことがわかります。
昭和30年代後半には、町内で井戸の水が涸れたとき、米軍の給水車で給水を受けています。
このような交流も昭和44年(1969)12月、立川基地飛行停止、昭和48年(1973)6月30日、基地全面閉鎖によって終了しました。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“米軍大和基地との交流,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月26日, https://h-yamatoarchive.sakura.ne.jp/omeka/items/show/1552.