アイテム (合計 7個)

  • コレクション: 近世3

おんじー!?

1大和町史研究10p71.jpg
 東大和市の現・狭山地域が後ヶ谷村(うしろがやむら)と呼ばれていた江戸時代の話です。
 地元の杉本家に伝わる貴重な古文書に宗門帳があり、当時の家族構成がわかります。
 寛政6年までは中核となる家族構成は4人から6人(年寄り夫婦、若夫婦、子ども)、以降、若干変動します。他市と比べても江戸時代普通の家族構成と云えるようです。
 ところが、天明2年(1782) から天保12年(1841)…

大まかな歴史の流れ 近世3

1_20年で野火止用水際まで達成.jpg
生産性の低い新田 農間稼ぎ
1 空堀川までが日常生活圏
早くに済ませた新田開発 一般的に大々的な武蔵野の新田開発は享保7年(1722)、江戸日本橋高札場に掲げられた武蔵野新田開発奨励のお触れ以降急速に進んだとされます。
しかし、東大和市域内では承応4年(1655)、野火止用水完成後間もなくから開墾が始められ延宝期(1673~1680)…