大和村の成立
タイトル (Title)
大和村の成立
詳細 (Description)
貯水池建設が進む最中です。村人達は大きな選択を迫られます。大正時代初期、東大和市域には、江戸時代からの芋窪村、蔵敷村、奈良橋村、高木村、狭山村、清水村の独立した村と、それらの村が広域に形成した「高木村他五ヵ村組合」がありました。ここに、
・農産物価格の下落、米価の高騰、織物業の不況などの厳しい経済事情
・次々と求められる教育施設の整備
・貧困な財政
など、厳しい日々に直面しました。
大正7年(1918)8月の米騒動に象徴されるような経済、社会情勢の中で、小学校の教室不足解消問題が浮上します。当時、村は芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、狭山、清水の「各村」とこれらの村で構成する「高木村他五ヵ村組合」で成り立っていました。
このままでは、新しい課題として眼前に迫る教育施設や地域整備をすることは無理であることがはっきりしてきました。村人達は二重行政の解消に動き始めました。大正8年(1919)2月25日、村議会で「各村」を合併し、「高木村他五ヵ村組合」を廃して、新しい村をつくることを議決しました。
「狭山村 高木村 清水村 奈良橋村 蔵敷村 芋窪村ノ六ケ村ヲ合併シ新ニ一村ヲ設置センコトヲ其ノ筋ニ請願スルモノトス
但、現在ニ於ケル各村ノ名称ハ其ノ区域ト共ニ大字トシテ存置シ 各村有ノ財産ハ其ノ大字有財産トシテ存置スベク 又 現在組合ノ財産ハ新ニ設置スペキ村有財産トナスモノトス」
として、大正8年(1919)11月1日、各村を合併し、新たに「大和村」とすることにしました。大和町史は次のように記します。
「合併は順調に進んだ。・・・六力村が一体となり、互いに和することが望まれた。蔵敷の内野家の前には、折しも村山道(現在の青梅街道)の修復完成を併せて祝福するアーチが作られた。そこには、新しい大和村の今後の道を示すように、「道平らかにして人和す」と大書された額が、かかげられた。」(p430)
人口 5,190人、戸数 770戸でした。
大和村の誕生(東京都東大和市)
大正8年(1919)11月1日、大和村が誕生しました。
大正デモクラシーと呼ばれる国際的にも、政治的にも、経済的にも変化の多い時代です。村山貯水池の建設の最中でした。古村の162戸の多くが丘陵南麓の地域に移転し、地域は激しく変貌を続けていました。その中で、
①江戸時代から、芋窪村、蔵敷村、奈良橋村、高木村、狭山村、清水村の六つの村々がありました。
②明治になり、村の処理する仕事が広がり、共同処理をするため六つの村で「高木村他五ヵ村組合」を構成しました。
この①②を整理して、「大和村」を生み出しました。
大和村誕生の背景(高木村他五ヵ村組合)
六つの村々は、明治時代、国から合併を指導されても、独立性を強く主張し受け入れませんでした。しかし、広域に処理をする仕事が増え、村々は共同処理をする組織として、明治22年(1889)、「高木村他五ヵ村組合」を結成しました。次のような仕組みです。
北多摩郡高木村外五ケ村組合規約
第一条 本組合ハ高木村外五ケ村組合ト称ス
第二条 本組合役場ヲ高木村一〇六番地ニ置ク(高木神社東側)
第三条 本組合ハ高木村 清水村 狭山村 奈良橋村 蔵敷村 芋窪村ノ六ケ村以テ組織スルモノトスル
第四条 本組合ハ前条六ケ村ニ係事務ノ全部ヲ共同処理スルモノトス
第五条 本組合会議員ノ定員ヲ十二名トス
第六条 本組合ハ一村ト看倣シ町村制規定ヲ準用ス
本規約ハ大正二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
六ヶ村を共同して「一村ト看倣(みな)シ」ますが、各村にも村会議員がいて、その村の予算、仕事の進め方があります。同時に、組合には組合会議員がいて予算と処理する仕事があります。このため二重行政とも評されます。
独立していた六つの村が合併して大和村となり、従前の村の区域はそのまま大和村の「大字」となった
二重行政の解消
村山貯水池の建設が進む中
・一時的には工事ブームで現金収入の途も開けました。しかし
・農産物価格が激しく変動し、加えて米騒動が起きました。
綿織物が落ち込み、絹織物への転換が図られる途中で、厳しい経済事情に直面しました。
・時代が進み、次々と教育施設の整備が求められました。村の財政は貧困で、対応に苦しみました。
・村人達は懸命に切り抜ける道を探しました。
・課題の解決のため、乗り出したのが「各村」と「高木村他五ヵ村組合」の二重行政の解消でした。
大正8年(1919)2月25日、「各村」を合併し一つの村になる事を決めました。
「狭山村 高木村 清水村 奈良橋村 蔵敷村 芋窪村ノ六ケ村ヲ合併シ新ニ一村ヲ設置センコトヲ其ノ筋ニ請願スルモノトス
但、現在ニ於ケル各村ノ名称ハ其ノ区域ト共ニ大字(おおあざ)トシテ存置シ 各村有ノ財産ハ其ノ大字有財産トシテ存置スベク 又 現在組合ノ財産ハ新ニ設置スペキ村有財産トナスモノトス
理由(意訳)
「町村制を施行してから30年を経過した。自治の発展は遅々(ちち)としている。特に、組合組織の町村にその傾向がある。その要因は住民の共同心を育成し、国家国体の結合力を鞏固(きょうこ)にすることが望めないところにある。
今や時代の趨勢は一致合同の必要を促している。当組合の気運はここに熟して、各村住民がそろって合村する事を熱望している。」(大正八年村会議事録第十九号議案)
全会一位で議決され、合併を東京府に請願しました。
大正8年(1919)
・8月7日、東京府から、組合村を廃し、「大和村」とすることに異存がないかの諮問がありました。
・8月15日、組合村議会は異議のない旨答申しました。
・11月1日、「大和村」が成立しました。
大きく和する
(政争の激しかった村々が大きく和して一つの村に)
どうして「大和村」の名が付いたのでしょうか。『大和町史』は次のように記します。
「合併は順調に進んだ。・・・六力村が一体となり、互いに和することが望まれた。蔵敷の内野家の前には、折しも村山道(現在の青梅街道)の修復完成を併せて祝福するアーチが作られた。そこには、新しい大和村の今後の道を示すように、「道平らかにして人和す」と大書された額が、かかげられた。」(p430)
政争の激しかった村々が一つになって、新たな出発をした、ほのぼのとした気分が伝わってきます。
江戸時代前期、承応3年(1654)玉川上水、翌年、野火止用水が開削されました。狭山丘陵の麓に生活の本拠を持っていた村人達は一斉に南に広がる武蔵野の原野を新田開発します。1600年代終わりには「用水際」の地名が現れます。
享保7年(1722)江戸日本橋に武蔵野新田開発奨励の高札が掲げられる30年も前に、この地では、野火止用水際まですっかり開発が終わっていました。そして、縦に細長い村々が出来上がったのでした。その過程は各村の境界に残る激しい入り込のように、凄ましい対立と調整が行われたものであったことが偲ばれます。
大いに和すことを名とする「大和村」の成立はこの歴史の結晶とも云えそうです。
・従前の各村は大和村の「大字」(おおあざ=地域名)になりました。
・人口 5.190人 戸数 771戸 でした。
芋窪247戸 蔵敷87戸 奈良橋118戸 高木70戸 狭山129戸 清水120戸
・村役場は従前の高木村他五ヵ村組合村の役場がそのまま継続して使われました。
・農産物価格の下落、米価の高騰、織物業の不況などの厳しい経済事情
・次々と求められる教育施設の整備
・貧困な財政
など、厳しい日々に直面しました。
大正7年(1918)8月の米騒動に象徴されるような経済、社会情勢の中で、小学校の教室不足解消問題が浮上します。当時、村は芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、狭山、清水の「各村」とこれらの村で構成する「高木村他五ヵ村組合」で成り立っていました。
このままでは、新しい課題として眼前に迫る教育施設や地域整備をすることは無理であることがはっきりしてきました。村人達は二重行政の解消に動き始めました。大正8年(1919)2月25日、村議会で「各村」を合併し、「高木村他五ヵ村組合」を廃して、新しい村をつくることを議決しました。
「狭山村 高木村 清水村 奈良橋村 蔵敷村 芋窪村ノ六ケ村ヲ合併シ新ニ一村ヲ設置センコトヲ其ノ筋ニ請願スルモノトス
但、現在ニ於ケル各村ノ名称ハ其ノ区域ト共ニ大字トシテ存置シ 各村有ノ財産ハ其ノ大字有財産トシテ存置スベク 又 現在組合ノ財産ハ新ニ設置スペキ村有財産トナスモノトス」
として、大正8年(1919)11月1日、各村を合併し、新たに「大和村」とすることにしました。大和町史は次のように記します。
「合併は順調に進んだ。・・・六力村が一体となり、互いに和することが望まれた。蔵敷の内野家の前には、折しも村山道(現在の青梅街道)の修復完成を併せて祝福するアーチが作られた。そこには、新しい大和村の今後の道を示すように、「道平らかにして人和す」と大書された額が、かかげられた。」(p430)
人口 5,190人、戸数 770戸でした。
大和村の誕生(東京都東大和市)
大正8年(1919)11月1日、大和村が誕生しました。
大正デモクラシーと呼ばれる国際的にも、政治的にも、経済的にも変化の多い時代です。村山貯水池の建設の最中でした。古村の162戸の多くが丘陵南麓の地域に移転し、地域は激しく変貌を続けていました。その中で、
①江戸時代から、芋窪村、蔵敷村、奈良橋村、高木村、狭山村、清水村の六つの村々がありました。
②明治になり、村の処理する仕事が広がり、共同処理をするため六つの村で「高木村他五ヵ村組合」を構成しました。
この①②を整理して、「大和村」を生み出しました。
大和村誕生の背景(高木村他五ヵ村組合)
六つの村々は、明治時代、国から合併を指導されても、独立性を強く主張し受け入れませんでした。しかし、広域に処理をする仕事が増え、村々は共同処理をする組織として、明治22年(1889)、「高木村他五ヵ村組合」を結成しました。次のような仕組みです。
北多摩郡高木村外五ケ村組合規約
第一条 本組合ハ高木村外五ケ村組合ト称ス
第二条 本組合役場ヲ高木村一〇六番地ニ置ク(高木神社東側)
第三条 本組合ハ高木村 清水村 狭山村 奈良橋村 蔵敷村 芋窪村ノ六ケ村以テ組織スルモノトスル
第四条 本組合ハ前条六ケ村ニ係事務ノ全部ヲ共同処理スルモノトス
第五条 本組合会議員ノ定員ヲ十二名トス
第六条 本組合ハ一村ト看倣シ町村制規定ヲ準用ス
本規約ハ大正二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
六ヶ村を共同して「一村ト看倣(みな)シ」ますが、各村にも村会議員がいて、その村の予算、仕事の進め方があります。同時に、組合には組合会議員がいて予算と処理する仕事があります。このため二重行政とも評されます。
独立していた六つの村が合併して大和村となり、従前の村の区域はそのまま大和村の「大字」となった
二重行政の解消
村山貯水池の建設が進む中
・一時的には工事ブームで現金収入の途も開けました。しかし
・農産物価格が激しく変動し、加えて米騒動が起きました。
綿織物が落ち込み、絹織物への転換が図られる途中で、厳しい経済事情に直面しました。
・時代が進み、次々と教育施設の整備が求められました。村の財政は貧困で、対応に苦しみました。
・村人達は懸命に切り抜ける道を探しました。
・課題の解決のため、乗り出したのが「各村」と「高木村他五ヵ村組合」の二重行政の解消でした。
大正8年(1919)2月25日、「各村」を合併し一つの村になる事を決めました。
「狭山村 高木村 清水村 奈良橋村 蔵敷村 芋窪村ノ六ケ村ヲ合併シ新ニ一村ヲ設置センコトヲ其ノ筋ニ請願スルモノトス
但、現在ニ於ケル各村ノ名称ハ其ノ区域ト共ニ大字(おおあざ)トシテ存置シ 各村有ノ財産ハ其ノ大字有財産トシテ存置スベク 又 現在組合ノ財産ハ新ニ設置スペキ村有財産トナスモノトス
理由(意訳)
「町村制を施行してから30年を経過した。自治の発展は遅々(ちち)としている。特に、組合組織の町村にその傾向がある。その要因は住民の共同心を育成し、国家国体の結合力を鞏固(きょうこ)にすることが望めないところにある。
今や時代の趨勢は一致合同の必要を促している。当組合の気運はここに熟して、各村住民がそろって合村する事を熱望している。」(大正八年村会議事録第十九号議案)
全会一位で議決され、合併を東京府に請願しました。
大正8年(1919)
・8月7日、東京府から、組合村を廃し、「大和村」とすることに異存がないかの諮問がありました。
・8月15日、組合村議会は異議のない旨答申しました。
・11月1日、「大和村」が成立しました。
大きく和する
(政争の激しかった村々が大きく和して一つの村に)
どうして「大和村」の名が付いたのでしょうか。『大和町史』は次のように記します。
「合併は順調に進んだ。・・・六力村が一体となり、互いに和することが望まれた。蔵敷の内野家の前には、折しも村山道(現在の青梅街道)の修復完成を併せて祝福するアーチが作られた。そこには、新しい大和村の今後の道を示すように、「道平らかにして人和す」と大書された額が、かかげられた。」(p430)
政争の激しかった村々が一つになって、新たな出発をした、ほのぼのとした気分が伝わってきます。
江戸時代前期、承応3年(1654)玉川上水、翌年、野火止用水が開削されました。狭山丘陵の麓に生活の本拠を持っていた村人達は一斉に南に広がる武蔵野の原野を新田開発します。1600年代終わりには「用水際」の地名が現れます。
享保7年(1722)江戸日本橋に武蔵野新田開発奨励の高札が掲げられる30年も前に、この地では、野火止用水際まですっかり開発が終わっていました。そして、縦に細長い村々が出来上がったのでした。その過程は各村の境界に残る激しい入り込のように、凄ましい対立と調整が行われたものであったことが偲ばれます。
大いに和すことを名とする「大和村」の成立はこの歴史の結晶とも云えそうです。
・従前の各村は大和村の「大字」(おおあざ=地域名)になりました。
・人口 5.190人 戸数 771戸 でした。
芋窪247戸 蔵敷87戸 奈良橋118戸 高木70戸 狭山129戸 清水120戸
・村役場は従前の高木村他五ヵ村組合村の役場がそのまま継続して使われました。
Item Relations
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Collection
Citation
“大和村の成立,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月22日, https://h-yamatoarchive.sakura.ne.jp/omeka/index.php/items/show/1534.