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玉川上水への通船2 明治時代の通船開始
1通船願い
江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ねて通船願いを提出します。羽村から内藤新宿・四谷大木戸間の舟運です。
玉川上水船筏通行願
明治二年九月
武州多摩郡羽村名主源兵衛 砂川村名主源五右衛門、福生村名主田村半十郎
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江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ねて通船願いを提出します。羽村から内藤新宿・四谷大木戸間の舟運です。
玉川上水船筏通行願
明治二年九月
武州多摩郡羽村名主源兵衛 砂川村名主源五右衛門、福生村名主田村半十郎
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玉川上水への通船4 通船の廃止
1沿岸住民の妨害
玉川上水上流部では、通船の主体者となる村々が沿線を占めていましたが、下流部では関わりが薄く、高井戸、笹塚周辺からは妨害行動が起こされています。通船が開始されて間もなくの明治3年(1870)…
玉川上水上流部では、通船の主体者となる村々が沿線を占めていましたが、下流部では関わりが薄く、高井戸、笹塚周辺からは妨害行動が起こされています。通船が開始されて間もなくの明治3年(1870)…
細長い村が出来た
玉川上水・野火止用水の開削
承応3年(1654)玉川上水が開削され、次いで、翌承応4年(1655)野火止用水が開削されました。茫漠たる武蔵野の原野に一路の水路が通りました。これを待ち受けていたように、翌年の明暦2年(1656)…
承応3年(1654)玉川上水が開削され、次いで、翌承応4年(1655)野火止用水が開削されました。茫漠たる武蔵野の原野に一路の水路が通りました。これを待ち受けていたように、翌年の明暦2年(1656)…
芋窪礫層 古い多摩川が運んだ石ころ
「狭山丘陵は古い多摩川が削り残したんです」
「また冗談云って!」
「絶対ごまかされないから!」
東大和市蔵敷の熊野神社の本殿を拝観し終わって、一息ついての話題です。…
「また冗談云って!」
「絶対ごまかされないから!」
東大和市蔵敷の熊野神社の本殿を拝観し終わって、一息ついての話題です。…
蔵敷高札場(都旧跡)
截數
大正11年8月指定
高札とは江戸時代奉行所からの定書、法度など板札にしたため一般住民に対する政令、周知のため通行人の多い社や名主の家の近くに掲げられたもので俗に御判行ともいわれた。この場所を御高札場という。
高札場は、江戸幕府が政令周知のために設けた掲示場で、慶長8年(1603年)3月の関東郷中に一般住民の対領主代官関係の年貢訴証等のことを布告したのに始まり高札として村々に政令が出されたのは正徳元年(1711年)5月の親子兄弟切支丹禁制条等が最初である。
大正11年8月指定
高札とは江戸時代奉行所からの定書、法度など板札にしたため一般住民に対する政令、周知のため通行人の多い社や名主の家の近くに掲げられたもので俗に御判行ともいわれた。この場所を御高札場という。
高札場は、江戸幕府が政令周知のために設けた掲示場で、慶長8年(1603年)3月の関東郷中に一般住民の対領主代官関係の年貢訴証等のことを布告したのに始まり高札として村々に政令が出されたのは正徳元年(1711年)5月の親子兄弟切支丹禁制条等が最初である。
タグ: 蔵敷
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